どうにも、長いようで短い空白が出来てしまった。
私が完全閉店宣言をしてから、再度オープンするまでの間だ。
何をしていたか。そう、仕事をしていた。それだけだ。
再開時のブログでも語ったが、何分機密なあれなので詳しくは書かないが。
例えば、英霊を召還してあれを修復していく某ゲームの学校風な公式番組の音声をしたり、ぐらんぐらんな青いファンタジーの地上波番組のアシスタントしたりと、そういう仕事をしていた。
生放送だと、猫なあの人とか未来なあの人とか深いウェブなあんな人とか、Vな方々のアシスタントに入ることも多々あった。
当時、実はこっそりと別サイトでブログを書いていたのを、つい先ほど掘り起こしたので時系列準にこちらに載せておく。ただそれだけだ。
今日の私からは以上。結構長いよ。
どこか遠い世界の話、幕開け。(2019/05/29)
酔いに任せて書き殴る。
これが許されたのはきっと大学を卒業する瞬間までの話。
今現在の仕事の研修として、入社日前に連れ出された外現場。
それが大学の卒業式と重なり、私はかつての学友たちと手を振ることもなく東京の地へと降り立った。
そんな学友の一人が最近ブログを始めた。
新卒としての就職、そこからすぐの転職や毎日の日記、昼食のレビュー等。実は私はそれを見るのを楽しみとしている。小っ恥ずかしいのか、それを本人には伝えてないが。
創作家としては、そういう声が一番活動の持続を左右するというのは身をもって承知済みだ。これはきちんと近いうちに言っておこうと思うし、夏に会う約束をしているので、その時にも直接旨を伝えるつもりだ。
実は今回も、それの影響に近い。
どうにも近頃のSNSは、私のように長文駄文を吐露する人間には不親切だ。
そして私にも遠慮の心はある。いやいや、嘘じゃない。そのわずかな遠慮の心、私が私に対して抱く忖度の念から、このブログを書き綴る。
プロローグが長すぎるのがその象徴だ。
私はこの東京という地でとある業務をしている。
それについて細かく触れる気はないし、知りたい物好きも多くないだろう。私が書きたくなった時にでも触れよう。
たいそう良い立地に構えて、たいそう大きな部屋をいくつも。その業務を遂行すべく作り上げられたオフィスに連日勤務している、
休みは基本週休二日だ。これは後日得た話だが、その月の中で合算して、週休二日になるよう調整。足りない分は翌月にきっちりと清算する仕組みだ。実際に休みはきちんともらえている。
しかし、覚える業務内容が多すぎる。身内トークで申し訳ないが、私の業種を知っている人なら伝わるだろう。しかし、その想像をも凌駕する勢いだ。
加えて、現場実践型だ。つまるところ、現場でやっているそれを逐一見て覚えろと。
ここまでは分からんでもない。だが、ほかの雑務を遂行中にどう見ろと。そして観察していたら外注スタッフに怒られ。これはもう、言わんとせず面倒だ。
私もまだまだぺーぺーだが。それでも、ある程度の現場の流れはきちんと掴めている。
同期の新人もそこそこに動ける人間が増えてきた。が。
やはり覚えるのが遅い人間もいる。その事実は承知すべきだ。人の成長には個人差がつくもので。つまりそういうことだ。
だが、2か月経った今でも基本的なことすら動けず、そして言われたことさえもできない人間がいる事実が、ここに存在してしまう。それが私の年齢を大幅に超えた社会人経験者であることが驚きだ。
別に特定の人間を攻撃するだとか、そんな稚拙な意味で論じているのではない。
こればかりはリアルのそれを見てほしい。きっとイライラする。だからこそ普段は温和な(つもりの)私も、これだけ、きている。
ほんとに仕事ができない人間がいるのだと。言われたことも、三日も経ったら忘れる人間がいるのだと。もはや幻のポケモンレベルで存在が怪しまれていた程度の人間がいるのだと、初めて知った。そしてこれも難しいことに、本人たちは別に悪い人間でもないということだ(一部ずる賢いのもいるが)。
どうにも発散しづらいこれを、どうにか発散すべく、その故のこれだ。
ひとまず愚痴が書けたので満足したであろう私の脳は休息を求めている。
今夜はこの辺りで。
どこか近いうちに、私が芸術大学で創作活動をしていた時の苦悩と、人間関係のモヤモヤとを吐露していきたい。ちなみに、ここに関しては全て私の自業自得である。
また明日(いや今日か?)、職場で資料を作っている合間にでも書いていこう。
ちなみに明日は本当は休みの日です。
では。
落としどころの無い書きなぐり(2019/05/30)
何となく語ろうには、その何となくに失礼だ。
本日はオフ。出社したがオフだ。誰が何と言おうともオフなんだ。
明日の仕込みをさっさと終えて、とある企画の準備を進めていた。
まぁ、言い出しっぺは私だということで。必要な資料の作成やスケジューリングやスタッフィング管理の諸々を軽くこなしていた程度だ。
ふとこの諸々の中に、かつての自分を見ていた。
なんとも、火の中へ足を踏み入れてはけもの道を開いていくそれは、かなり楽しかったのだろう。
そう思うと大学生活の4年間はとてつもなく長いものであった。
何が何だか。
飽きるまでやると言い続けていた創作活動も飽きが来る前に辞めてしまって。逆にその後に飽いてくる。目的と手段(というよりも媒介)が逆転してしまった。
私が最後に生んだ作品はどんなだっただろうか。あれはあれで、壮絶だった気がする。
思い出しがてら、そのころを振り返ろうか。
芸術大学で作曲専攻の道を選んでしまった私は4年目にして卒業制作という壁にぶち当たる。この書き方からしてお察しだが、私はそもそも音楽分野における活動に見切りをつけていた。それも1年生の頃に。
なんだか、そのくせ強がる癖があるようで。周りに見下されないように、ほかのやつらの競争心だけを煽って無駄に成長速度を上げたがるブリーダーのような気質だ(いいように比喩している)。((なんだか私は文章力が落ちたな))
見切りをつけてでも、楽しいこの箱庭で延々と遊べるように1寸以降も闇のまま模索していた。私は論理的に捉える思考タイプのようで、物事をオブジェクト化して加算乗算しながらの解釈、説明が得意な人間だった。そのため音楽理論にはめっぽう強く。。。この話はいい。
ここでやってきたのは趣味での創作活動と、大学での制作と、大学のイベントのトリプルパンチ。なんともう、聖徳太子も聞き分けならぬ音の暴力だ。それも、すべてジャンルが違う。
私の趣味での創作はポップス、ロック、アイリッシュをミックスしたジャンルを啓蒙していた。これがま~~評判悪い。いやいや、評判悪いというよりは評判すら立たない。悲しいね、情報社会。一部の人間はとてもうれしい評価をしてくれるのだけが助かった。ありがたい。
卒業制作はクラシックであった。そうなんだ。私はクラシック専攻で卒業したのか、と。今になって思えば雲をつかむような過去だ。そんなのできねぇよ、と。それでも得意顔で、さも当然のようにやってみせてしまうのが悪い癖だ。今は十二分に理解している。治っているかは定かでない。
イベントは電子音楽。これも苦手なジャンルだ。何が苦手かと言われても、分からん。何が何だか、さっぱりだ。そのくせイベントのリーダーを任され。困ったもんだ。どうにも、断りにくい雰囲気。忖度ジャパン。
これも、まぁ何とか落とせるところへ落としたつもりだ。完全な成功に引っ張るのは長い目で見て良くなかったので。今後の課題を可視化できるよう落とし込めばこっちの勝ちだ。私の勝ちだ。
今更こんな言い訳は必要ない。今年度も動き出しているようだ。いいね、頑張れ。
そんなこんなで、どれも及第点すれすれを通過したのが昨年末だ。なんとも、周りから見ればボロボロだが、私から見れば完璧な動きだった。
何が、それなんだと。いやいや、昨年末のCDよ。とあるTwitterアカウントでは音源をDL可能としてばらまいたが、いや、これはもう完璧な完成度。最高だ。制作日数は3日だが。
これは今でも寝る前に聞く。いや、自画自賛とは本当にこういうものだと言い聞かせるがごとく。その四字熟語をほぼ毎晩なぞる。
何がいいかは、分からん。気になる物好きは頑張って漁って見つけてくれ。
こうして、話の落としどころが見つからなくなっていく。この文章のごとく、昨年の物々はゴールへ向かっていった。なんとも、説得力のあるものを生み出している。
他人が見れば私の人生は濃いらしい。そうか。
他人が見れば私の人生は楽しそうらしい。そうか。
こうして自己顕示欲に溺れて、白蟻をばら撒かれようが気にしない。
誰がどうしただ知ったこっちゃないし、自分は自分のやりたいように生きてきただけだ、と。こればかりは、どうにも自分勝手でやるせない座右の銘だ。だが、気にしない。もちろん周りに迷惑を被るつもりはない。しかし、この焚火に薪を投げ入れるなら、燃え広がることだけは覚悟しておけと言っておきたい。
君が虫になるのか、薪をくべるのか、熱だけをもらっていくのかはどうにでもすればいい。楽しく賢く生きようぜ、残り少ねぇ人生だ。
おわり。今日は酔ってません
憂鬱ならば月を眺め(2019/05/31)
何となく語らうにも、その何となくの密度で濃度が決まるわけで。
実にオフらしい休日を経た。明日もまた、県境を越えて現場仕事である。
さて、何をしようか。そう思う頃には太陽も南中を終えて、ベッドへと向かう頃だった。
何気なく休日を過ごしていたあの学生時代とは打って変わって、何気ない休みの日すら貴重なこの日々。しかしその休みすらも、休息で時間を使っているのに、何が何だか、無駄を持て余しているように感じてしまう。
そんな中で、私の貪った惰眠の時間を持ってして、何か別の休日らしい時間を使えないかと、今日は温泉へと繰り出してみた。
都内、もっと言えば山手線沿線。そんな駅から少しだけ歩いたところにある温泉施設へと足を運んだ。
温泉へ浸かったのはいつぶりだろうか。とは言えど、大学生の頃は下宿先から電車で30分ほどのところに有馬温泉があったので、そこへ最後に行ったぶりか。
なんだこれは。疲れが癒える。
学生時代に、何かこう、話題作りやステータスのために行っていた温泉だが、どうにも今の自分には十二分に効果があるらしい。これがいわゆる歳を感じる瞬間というやつなのだろうか。
どうにもこの話をしていると、心が痛くなる。ここで終わらせてもらう。
さて、近頃は少し心に曇りをちらつかせるニュースが多い中、自分もそれの照度を上げるための努力をしている、つもりだ。
そうしているうちに日付を重ねて、どうにも歳を負うのだろうが。まぁ、この漢字を当てるのはやめよう。
今日感じたことを適当に述べるとする。
上京してまだ間もないが、それでも恵比寿の街へ引っ越し、住んでいることはとてもすごいことなのだと思っていた。が、実際に来てみるとそうでもなく。ただ闇雲に時が過ぎ去り、ほかの都市にくらべて無駄に人が多く、汚れやすい街だったと痛感する日々だ。
どうにも、この街を好きになるには、この街と仲良くなるには時間がかかりそうだ。
かつて住んでいた桜の街の景色が、やはり自分は好きなんだろう。
もしもう少しだけ自分の世界に余裕ができたときには、近いうちにでも桜の吹雪を浴びに帰りたいと思う。
そして、かつて私が遠めに見ていたあの景色も、当然のように住んでいたが今になっては新鮮で真新しいの景色も、きっと近いうちに自分の手に届くようになればと。
そういう気分で生きているつもりだ。だんだんと何が何だか、分からないが。普段からそうなので。これが私の思考の中だ、と。読んでくれればと思う。
自由でも縛られてても。それが誰かの手の中にあって、そいつを幸せにできているのなら。それ以上の幸福は無いんだぞと、過去の自分に言ってやりたい。
そして今の自分にも言ってやるといい。
お誂えの天災が癪に触るな(2019/06/18)
何事もなく語ろうにも、仕方なくと何となくが邪魔をする。
さて、今月で関東の地を出ることを決意した。
なにぶんいきなりの事ではあるが、いずれ来る道を早めに通っただけだ。
今は何もかも空っぽで、自分の全てを投げだす覚悟での決意だ。
仕方がないが、抗えない。
その心情の変化と、何かが積もり積もったのかは、また後日語らおう。
まだこの街と仲良くなれずに、曖昧な距離感のまま離れるのは寂しい気もするが。
しかし、どうにも感情移入もできない。所詮こんなものか、と。何となくそう思えてしまう。
同じ世界で同じように風が吹き続けてるはずなのに、どうにもその匂いも味も変わるんだな。ならば、最高のディッシュへ身を移そう。ただそれを、求めている。
なんとか、楽な道はないかと。なんとか、安全に行けないかと模索はしたが、これが過去の尻拭いか。なんとも、けもの道しか残っていないようだ。
誰かが足踏みして、荒れただけな道を行く。
しかし、ただそれだけではいられない。
どこか遠い、新しい景色を見に行こう。
空の彼方(2019/06/19)
何かを何となく語ろう
どうしようもなく長い三か月が終わった。
初めて見る景色や、初めて聞く言葉、それらはとても新鮮で
新鮮すぎてどうしようもなく無駄だった。
無駄と位置付けるには、どうしようもなく早い。
そんな中で、それをそのカテゴリから排除すべくの行動に至ったわけだ。
3月には、どうしようもなく不安がつのっていた。
初めての仕事は急に車に乗せられて、誰もが知る場所へ。
そこで何も分からぬまま、仕事を遂行しろ、と。
はてさて、困ったもので。私は謎の自信家だ。加えて楽天家だ。
いつかは出来ると、適当に自負していた。
それを乗り越えて、研修というものは幕を閉じた。
さて、入社日を迎えた。あらま、事前情報と全然違う。
意外にも同期が8人もいるじゃないか。なるほど。賑やかになりそうだ。
どいつもこいつもすげぇ真面目そうな感じだ。この雰囲気についていけるのか、これが不安だ。
どうしようもなく月日が経つと、どうしようもなく愛着が湧いてくる。
これは可視化された時間でなく、各々が持つ個性的な時間経過のことだ。
いつの間にかたいそう仲良くなった割には、実は派閥というものが生まれる。
人の心とはまぁよく分からんもので、孤立する人間も出てきたわけだ。
私はそこには関与していないし、する気もないから放っておいたが、今後もどうなるのやら辞めた後の不安要素でもある。(あれ、少し前に勢いにまかせて、この場で愚痴を書いていた気がしてきた。まぁ、それは置いておこう)
そして5月に入ろうとすると、大きく動きが加わるわけだ。
たった1月で同期が一人去った。今では、別に何とも思っていないが、どうにも当時は驚かされた。急だな。ほんとに急だな。
実はいくつか共通点があり、なかなかに親近感を出し始めたころのそれだったので、余計に、だ。
それを超えると、またいつも通り時間が過ぎていく、はずだった。
どうにもまた一人やめてしまうらしい。1月毎に1人いなくなっていく、そういう月連載漫画のストーリーのように、姿が消えていく。
あいつは今頃何をしているんだろうか。
それらを越えて、さて今度は私の番かと。
今月は様々な出会いと体験があった。
そんな中で少しずつ決意が固められたのだろう。
新しい景色を見るために外へ出るのでなく、
見たかった景色のために外へ出よう。
空の彼方へ旅立とう。
空白期間のブログ、以上。
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